一時帰国していた間、あまりにも忙しく、一号分お休みしましたが、このたび復活しました。

実践オランダ語講座Vol.16

今号では「ネーデルラント(オランダ)のモーツァルト」について書きました。両親に連れられ、また姉ナンネルと共に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、7歳から10歳までの間に断続的にオランダ・ベルギーに滞在しました。でも、この期間のことについては、モーツァルト一家が同時期に旅したもっと大きな都市、ロンドンやパリでの出来事とは違い、音楽書でもあまり詳しく触れられることのない部分です。

それでも、学術書に登場する事柄というのは、いくつかあります。メルマガにも書いたように、モーツァルト一家がハーグに滞在した1765年の秋、ナンネルそしてヴォルフガングが2人とも重病(腸チフス)に罹るも、あやうく一命を取りとめたこと、そして、1766年にヴォルフガングがオランダの歌を用いて作品を書いたこと、ハーレムの聖バーヴォ教会の巨大なパイプオルガンを試奏したこと…とはいえ、その分量は、私の手元にある日本語で書かれた『モーツァルト』本を例にとっても、1冊約200ページの記述中、オランダ滞在について割かれているのはほんの1ページ分程度です。

後にウィーン古典派スタイルを確立したとされ、名高い作曲家となったヴォルフガング・モーツァルトだとて、もちろん幼年期、少年期はあったわけで…それはなにも、ウィーンのシェーンブルン宮殿の床でころんだ時、助け起こしてくれたマリー・アントワネット(当時はマリア・アントニア皇女)に向かって、「大きくなったらお嫁さんにしてあげる!」と言ったとか言わないとか、という話だけでは語れない日々であるはずです。長年オランダに住み、家を一歩出ればオランダ語をほぼ第一外国語(笑)として、しかも音楽をひとつの専門として過ごしている私としては、ここに焦点を合わせてみようと考えました。

さて、まず、18世紀のオランダ(ちなみにこれはアムステルダムのダム広場です)の雰囲気を垣間見てみましょう。

dam-18de-eeuw.jpg  lantaarn_18de-eeuw-amsterdam.jpg

右の画像は、ググっていて偶然見つけた当時の街燈(ランタン)、今でも残っているそうです。ちょうど、左の絵画中、右手の建物にもついているのが見えるでしょうか?ただし、当時は電球ではなく、ろうそくですよね。

そして、わが子の才能を世に知らしめるのを神よりの使命だとさえ思っていたという、敬虔なカトリックの父親、レオポルド・モーツァルト氏は、こんな方だったようです。

lleopold-mozart-Pencil drawing by Franz Lactanz Count Firmian (1709-1786), Salzburg around 1762

あえて、既に人口に膾炙している有名な肖像画ではなく、私個人の好みに任せて(笑)こんなのを選んでみました。レオポルドは、自身ザルツブルグ宮廷に仕える音楽家・ヴァイオリニストで、21世紀の現代でも、音楽家ならば当然知っているはずの『ヴァイオリン奏法』という本の著者です。ここには、ヴァイオリンの弾き方や、さらには音楽についてのユーモアを交えた考察がちりばめられています。また、当時のヨーロッパ各国で翻訳され、広く読まれた本でもあります。

そんなステージパパ、レオポルドの子どもたち、ヴォルフガングとナンネルは…

wolfgang_amadeus_mozart_1756_j_hi.jpg

かわいいですね!この姉弟は、オランダでのコンサートでも(主にチェンバロで)連弾を披露したという記録が残っています。

もう一作、これはまだ真偽のほどは不明だそうですが、

Mozart_painted_by_Greuze_1763-64.jpg Mozart_painted_by_Greuze_1763-64-detail.jpg

もし、これが本物だとすれば、ヴォルフガングくんはこの頃7~8歳です。

ところで、メルマガ中でもあげた、ヴォルフガング作曲の『ナッソウのヴィルヘルムス(ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウ』のテーマによるクラヴィーア変奏曲のテーマはこれです。現代の出版譜も出ています。

1766mozart.gif

現在の(そして16世紀のものをもとにした)オランダ国歌をご存知で、しかも楽譜の読める方は「おや?」と思うかもしれません。なぜかといえば、それはこんな曲だからです。

kbwilhelmus1875.jpg

でも、18世紀の半ば頃には、こんなバージョンが存在しました。これがまさにモーツァルトが用いたものだということがわかります。

1747.gif

ちなみに、以下は19世紀半ばの『ヴィルヘルムス』です。これの方が、「モーツァルト版」(笑)とさらにそっくりですね。

1848gent.gif

1766年にモーツァルトが作曲したもう一つのクラヴィーア変奏曲のテーマ、これはハーグ宮廷楽長グラーフ作のものですが、邦題として『われら勝れり』などと適当に(笑)つけられていたりし、オランダ史を学んでいる私には、どこがどこに勝ったのか、さっぱりわからないのですが(爆)、実はこの歌の原題は「Laat ons juichen, Batavieren」といいます。つまり、本気で翻訳するならば「歓喜せよ(喜べ)、バタヴィアの民よ」となります。当時のオランダでは、自国民のことを「バタヴィア人」と呼んでいました。そして、この歌は、当時ヴィレムV世が1766年3月8日に18歳の誕生日を迎え(つまり成人になり)、晴れて総督(事実上の国王)に就任することを祝するために作られたものです。

なので、勝った負けたという話ではありません(笑)と、戦争ぎらい、また、勝ち負けを云々するのが生来嫌いな私としては、ここで公にお伝えしておきたく思います。

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【2009/04/2406:14】 |『実践オランダ語講座』メルマガ用参考資料
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