pad.jpg

東京の音大時代からずっと尊敬し続けてきた作曲家の
三善晃先生の訃報にふれ、いずれは…という思い、
それでもやはり残念でしかたがないという気持ち、
また、あのような才能のもとで学ぶ機会に恵まれた
という感謝の念の交錯する時間を過ごしています。

うっかり全てを削除してしまった旧ホームページ
「森の国から…」の中に、「M先生のこと」という
エッセイを掲載していたのですが、幸いにも
そのバックアップがあったので、ここにあらためて
感謝の気持ちをこめて掲載します。今度は
イニシャルではなく、ご本名にて。
なお、このエッセイは2001年に書いたものです。

          *

       三善先生のこと

インターネットで秋の叙勲のニュースを見ていたら、
文化功労者の項に前国連難民高等弁務官の緒方貞子氏、
指揮者の小沢征爾氏などと共に三善先生のお名前があった。
三善先生ご自身は、勲章になどあまり興味もないような気も
するが、大学時代からずっと尊敬し続けてきた私のような
者にしてみればやはり嬉しい出来事だ。

三善先生は、私が東京で通った音楽大学の学長を長くなさっていた。
音大の学長は作曲家である場合が多いのだが、三善先生も
現代日本を代表する作曲家である。三善先生の他にもその音大の
教授陣には錚々たる作曲家達が名を連ねており、当時、1クラス
約20名ずつに分けられた私達は、この作曲家先生のどなたか
お一人から「和声」の講義を受けることになっていた。「和声」は
音大では必修科目のひとつである。これを学ぶことにより、
音楽専攻の学生は西洋音楽で使用されてきた和声進行の法則や
禁止事項などについての知識を深め、また与えられた課題に和声を
つける実習をしたりもする。

先生がたの方では、作曲科専攻でもない学生達に和声を教えるなど、
さしてやりがいのある仕事には思われなかったに違いない … が、
幸か不幸か、私は偶然にこの偉大な学長先生のクラスに入って
しまったのだった。

才能無き者の悲しさかな、三善先生の講義の甲斐もなく、
私が提出する課題中には性懲りもない和声進行の禁止事項が
頻出するのだった。思えば真珠の粒がひとつ、またひとつと
こぼれ落ちるような日々だったのに、なんとかに真珠、と
いうのは正にこのような状況を指す言葉であろう。けれども、
そのおかげで私は三善先生の音楽を少しでも身近に感じることが
できたのだ、と今では思っている。もともと小さい頃のピアノの
レッスンでは、「バイエル」より「メトードローズ」(註*)
の方が百倍好き、という質だったから、劣等生の私ではあった
けれども、フランス風な和声を熟知している三善先生の講義は
楽しみだった。講義中にピアノで和声進行のお手本を示して
下さるのを、まるで魔法を見ているような心持ちで聴き、
また新譜が出たと聞けば早速買い求めたりして、この作曲家から
生み出される音楽のなんとも言えない趣味の良さ、のような
ものに私は深く惹かれていた。

故武満徹氏と並び称される三善先生の本職である現代音楽の方は、
実を言うと機会がなければあまり聴かないのだが、私は三善先生が
子ども用に作ったピアノ曲や、萩原朔太郎の一連の詩に作曲した
作品などがとても好きだ。今でも時折、本棚から引っ張り出しては
弾いたりもしている。それは、三善先生の御著書の中で紹介されて
いた料理のレシピ-のようでもあり(先生は「料理」というものを
大切に思っておられる方だった)、そこに綴られた文章のようでも
あるように、私には感じられる。

秋のちょうど今頃には学園祭があった。大学敷地内にやわらかく
漂っていた金木犀の香を思い出す。三善先生は大分前に学長の職を
辞された後、上野の文化会館の館長になられたと聞いている。
今はどのような「音」を創っておられるだろうか。
 
*註:「バイエル」も「メトードローズ」も初心者のための
ピアノ教則本であるが、前者はドイツ人、後者はフランス人によって
編まれたものである。メトードローズ(=バラ色の練習曲集)
日本語版はフランスからの帰国子女でもあったピアニスト、
故安川加寿子氏の紹介により広く知られるようになった。



            *

三善先生、ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。


akira-miyoshi.jpg

つい先日も珠玉の小品を一曲、公開の場にて弾いたばかりでした…

にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ

【2013/10/0604:51】 |出来事
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
Mail:
URL:

Pass:
秘密:管理者にだけ表示を許可
 


トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック