実践オランダ語講座Vol.26

5回に渡ってご紹介してきた「ライデンのレンブラント」ようやく最終回を迎えました。参考資料アップが遅くなり、申し訳ありません。最近、公私ともども、なにかと忙しく…(汗)

では、画像をご紹介します。

ほぼ同い年ながら、画家としてライデンですでに活躍していたヤン・リーヴェンスと、その少し後、アムステルダムからライデンに戻ってきたレンブラントの2人は、同じアトリエにて制作活動をしていました。

この時期の2人の作品には、

同じ主題を扱ったもの、

lievens-samusonanddelilad-ca1628.jpg       rembrandt-samson.jpg

「サムソンとデリラ」左:ヤン・リーヴェンス 右:レンブラント

それぞれの絵画中にまったく同じ物体が描かれているもの

lievens-geldzak.jpg       rembrandt-geldzak.jpg

左:リーヴェンス「ペン研ぎ屋」、右:レンブラント「高利貸しの老人」
(この2枚には、よく見ると、まったく同じ硬貨入れが描かれています)

などが見られます。

そして、下の2枚は、どちらもレンブラントの手になるものと見なされてきた作品だったのですが、現在、左の作品はリーヴェンスが描いたものだと判明しているそうです。

lievens-1631.jpg   rembrandt-dou-rupert.jpeg

さらに、1631年の作品とされているこの2枚の絵には、どうも、この頃にリーヴェンスとレンブラントの間になにかが起こったのではないかと推測される要素が含まれているとのことです。さまざまな調査の結果、レンブラント作の方は、レンブラントが途中まで描いたものを、レンブラントの弟子、ヘーリット・ドウ(Gerrit Dou)が仕上げたものだとわかり、レンブラントがなぜ、これを自分の手で仕上げなかったのか?そして、リーヴェンスの助けを借りずになぜ弟子のドウに仕上げさせたのか?そんなことも、美術専門家たちにとっては、あれこれ想像を掻き立てられる謎となっているようです。

メルマガにも書いたように、この年を境に、レンブラントとリーヴェンスが(後年、2人ともアムステルダムで暮らしたにもかかわらず)接触を持った形跡はまったくないとのこと。でも、レンブラント破産後の売却品の中には、リーヴェンス作の絵画も含まれていたとのことですから、少なくとも、レンブラントにとってリーヴェンスはどうでもいい存在ではなかったのではなかろうかと思います。

以下、まったく私の個人的な好みで作品を紹介します。

ヤン・リーヴェンスは、1632年に渡英、アンソニー・ファン=ダイクと共にチャールズI世の宮廷でしばらく活動しましたが、以下はその頃の作品です。

Gautier_Lievens-1.jpg

当時、その宮廷にいたゴーティエというリュートの名手(+作曲家)を描いた版画です。実は、11月末、アムステルダムで催された某アンティークフェアでこの版画の本物を見る機会を得ました。それまで図版では見ていましたが「こんなところで本物に出会うとは!」と驚きかつ感激しました。ちなみに、これには既に買い手がついていて「世の中には、こんなのを買えちゃう方(笑)もやはりいるのだ!」ということにも大びっくり。会場には、ネーデルラントバンクの頭取夫妻もいらしていました。

この2人の個性的な画家に対して、専門家でもなんでもない私が個人的に抱いている謎というものもあります。それは…

ヤン・リーヴェンスはライデン時代の1629年に金髪の少女の肖像画を何作も描いていて、それは、こんな絵画にも反映されています。

lievens-blondmeisje.jpg

そして、この少女(光を当てた描き方も!)が、どうも、レンブラント後年のあまりにも有名なこの作品(1642年完成)に登場しているような気がするのですが…

rembrandt-nachtwacht.jpg

まあ、素人があれこれ空想をめぐらすのは、自由、ということで(笑)。


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【2009/12/1510:30】 |『実践オランダ語講座』メルマガ用参考資料
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